昭和44年04月17日 夜の御理解



 上野さんとここでお話した事で御座いますけれども、是は上野さん、本当に金光様の御信心というのは、今朝の御理解を身に付けて行く以外にはなかばいて言うてから、もう先生私もそう思いましたと。ここ最近2~3日特に感じます事、もうここに焦点を置く以外にはないと言うて、まあお話をした事で御座いますけれども。今朝の御理解は、この方の道は傘一本で開ける道と、こう言う。
 まあその事の御理解と同時に、それはまた、黙っておっても開ける道。この方の道は黙っておっても開ける道だという、もうここんところ、そのなぜ黙っておれるかと言うと、神様の働きをよう分からせて貰うから。神様の働きを信じておるから、その黙っておる事の有り難さが分かるのであって。是を信心、信がなかったらね、神様を信ずる力がなかったら、是はこんなに言うなら何と申しましょうかね。
 ただ自分が黙ってこう、ぐうぐう言うて、堪えときゃ良かと言った様な事に、なるのでしょうけれど。今日私と、上野さんが話したのは、本当にここまで神様を分からせて貰う、ここまで神様が、信じれれる様になったと云う事が、上野さん有難い事じゃ。もう本当に黙っておって開ける道だなと言うて、話した事ですけれども、一つ本当にお互いがね、もう全ての事が黙って、それはその、何々さんち言うても、黙って返事もせんという意味じゃないですよね。
 腹立てちから物言わんと言う様なものではないです、けどもそこんところをです、よく理解させて貰うて、どの様な場合でおっても黙っておって済めれる、しかもそれが的確におかげになって行ける、行く矢張り確信と、そういう信念をいよいよ強うして行く事の為にです、いよいよ神様を頂いて行かなければならないなと。よく、お道の信心は世間では無言実行と言う事を言うけれども、お道の信心は有言実行だと云う様な事を言う場合があったり言う人もありますけれども。
実際はですね、もう神様が分からせて貰えれる、信じさせて貰えれる様になりゃ成程、私は矢張り無言実行だと。無言是は信心がなからなければ、この無限実行と云う事はつまらん。ああ、つまらんと言うか、大した言うなら効を、現さないでしょうけれども。神様がいよいよ分かって言わんで済む私。して見ると、普通で言う無言実行でもない、又はお道の信心はと言うて言われる有言実行でもない。そこにはもう神様を信じて、言わんでおれれると云う事が有難いと分からせて貰う信心。
 成程合楽の生き方から行くと、その例えば目に余る様な事を見ても、自分という者を見極めて行くと、自分という者を見て行くと、改まりに改まりをそこからさせて貰うと。それでまあ言わんで済むという生き方もありますけれども、そう厳しゅう言わんでもです、もう自分という者はそうときめて、例えば厳しく言う事は有り難いですけども、厳しく言わんでもです、神様の働きが信じれて行けば行く程ですね、言わんで済む事の有り難さ。 そこが、私は大事だと今朝から思う。
 そこんところを、まあ私が思うておる事、上野さんが感じておる事はそこに幾らかの違いあろうと思うけれども、確かに親先生そうで御座いますばいと、もうここに焦点を置いて、是からも行く以外にはないと言う風に、まあ言っており、言えれる所迄ですね、お互い信心を頂きたいもんだと。言わんで済む、この方の道は傘一本で開かれる道と云う事は、また言い替えると、この方の道は言わんで済む、いわゆる言わんでも開けて行く道だという様なおかげを頂きたいと思うですね。
   どうぞ。